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回廊

高岡大仏の台座下に広がる回廊

高岡大仏が鎮座する台座の下は、阿弥陀三尊と諸仏が安置されており、午前6:00〜午後6:00の間、参拝が可能となっています。

回廊の壁面には、その昔、高岡の御神木と崇められた杉の巨木『七本杉』の伐採木をキャンバスに用いた仏画13作が展示されている他、1900年(明治33年)の大火での類焼を辛うじて免れた「二代目高岡大仏のご尊顔」と言われている仏頭が安置されています。

『七本杉』について

その昔、高岡駅前の大通り「末広町通り」の道路中央に、『七本杉』と呼ばれる幹周り12メートル、樹高は約40メートルと、巨大な杉の大樹が立っていました。

この大老杉は1609年の高岡城築城以前からあったと記録に残っており、名前の由来は七樹あったうちの一樹が残ったから、また、枝が七本あるから等諸説あります。
御神木と崇められて市民に親しまれており、明治33年に高岡を襲った大火からも逃れましたが、昭和2年、杉の老朽化と道路拡張工事のため伐採されました。

伐採された杉は13枚のキャンバスへと生まれ変わりました。その後、当時高岡在住の新進画家達の手によって13枚の仏画となり、大仏寺へ寄贈されました。

『七本杉』のあった場所は、現在、高岡駅前の「ギャラリー」となっており、その名前を今もなお後世に残しています。

七本杉

伐採前の『七本杉』

13作の仏画

仏画1_聖徳太子仏画1_聖徳太子

1 聖徳太子

櫻井 鴻有(さくらい こうゆう)
(明治39年〜昭和35年)

仏画2_迦陵頻伽仏画2_迦陵頻伽

2 迦陵頻伽

伊井 慶泉(いい けいせん)
(明治19年〜昭和45年)

仏画3_三尊像仏画3_三尊像

3 三尊像

筏井 茂之(いかだい しげゆき)
(大正13年〜不明)

仏画4_地獄仏画4_地獄

4地獄

増川 武雄(ますかわ たけお)
(大正14年〜)

仏画5_諸行無常仏画5_諸行無常

5 諸行無常

村 閑歩(むら かんぽ)
(明治37年〜昭和63)

仏画6_吉崎嫁おどし仏画6_吉崎嫁おどし

6 吉崎嫁おどし

千田 大寛(せんだ たいかん)
(明治25年〜昭和25)

仏画7_白衣観音仏画7_白衣観音

7 白衣観音

小坂 勝人(こさか かつんど)
(明治34年〜昭和28年)

仏画8_弥陀三尊像仏画8_弥陀三尊像

8 弥陀三尊像

筏井 茂之(いかだい しげゆき)
(大正13年〜不明)

仏画9_倶利伽藍不動仏画9_倶利伽藍不動

9 倶利伽藍不動

昇 外義(のぼり がいき)
(大正14年〜平成7年)

仏画10_焦熱地獄仏画10_焦熱地獄

10 焦熱地獄

村 閑歩(むら かんぽ)
(明治37年〜昭和63)

仏画11_愛染明王仏画11_愛染明王

11 愛染明王

増川 武雄(ますかわ たけお)
(大正14年〜)

仏画12_天人仏画12_天人

12 天人

村田 吉生(むらた よしお)
(明治41年〜昭和63年)

仏画13_金剛光菩薩仏画13_金剛光菩薩

13 金剛光菩薩

藤森 滋男(ふじもり しげお)
(昭和3年〜不明)

二代目高岡大仏のご尊顔

ご尊顔
  二代目高岡大仏とされるご尊顔
   (高岡大仏の台座下回廊)

回廊の最深部では、1900年(明治33年)の大火で類焼するも焼失を免れた二代目高岡大仏のご尊顔とされる仏頭が安置されています。大火の際に一部焼け焦げた跡が残り「大火の教訓を忘れじ」と、火災の予防を訴えかける存在となっています。

また、高岡大仏の特徴である「円光背」に取付けられる予定であった十二光仏は、重量の制限上これを断念し、仏頭の後方壁面に配されています。